- 2007年5月 9日 23:02
- てけとー日記
自分にとって当たり前のことは他人からみれば未知なものである。自分の考えというのを真っ向から否定しないとそれに気づけない。
僕はというと当たり前だと感じてしまう。意識してもすぐにそれは打ち消されます。自分を否定するというのは恐ろしいことだし、誰もしたくはない。
どんなに退廃した人間になったとしても、自分が悪いということを認めない人は多いです。自己正当というものでしょうか。
自分の非を認めれば存在そのものを否定することになり、なんとしてもそれは間逃れたいと。そういう人なんていないと思っていたけれどそうでもなかった。
自殺志願者以外は死ぬのが嫌といっているけれど、僕は死ぬというより痛いから死にたくないなと考えていることに気づきました(笑
みんなそんなもんなんじゃないのかなぁなんて思っていたんですが、周りをみれば存在が消えることが嫌だという人が多かった。
多種多様な人々の生き方をそれぞれの価値観と一言で表すのは好きではありません。
「いろいろな価値観な人がいて、それを認め合いながら生きていきましょう。」
なんとなく気持ちの悪い言葉に聞こえる。なんというか、ありきたりというか聞き飽きました。
僕は認めることもしないし否定することもしない。どうでもいいし勝手にやりたければやればいい。迷惑かけられようがそれも別にいい。
自分のことを不幸だと思っている人(他人からみてもなかなか波乱な人生を送ってる)と話したけど、僕のことをこういってきた。
「人を認めてるんじゃなくて人に興味が無い」
あーそうなのかと思った。
それだと認めることも否定することも無いなと感じた。遠い言い回しだけど、それが一番性質が悪いとも言われた気がする(笑
興味ってなんだろうか?人に興味を持つ?今僕は誰に興味を持っているんだろうか?
同じ学部にいるだろうか?有名人にいるだろうか?
当たり前と思っていた人に対する接し方というのが、この年齢になっておかしいかもしれないと思ってしまいました。
なぜ芸能に興味が持てるのかわからなかった。なんでそんなに人に注目するんだろうか。注目するにしても騒ぎ立てるほどのことなのか。
そういうことを思っていたけれど、おかしいのは僕の方だったのでしょうね。自分にとって当たり前のことは他人からすれば未知なものである。
いつでも自分を疑うことをしていないと、人を傷つけてしまうから気をつけないといけない。
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