- 2007年6月24日 22:14
- てけとー日記
もともとあのキノコキチガイ男の叫びが見たくてみていたのですが、いろいろとメッセージ性があるので見入るようにもなりました。
たくさんの意見はあるだろうし、たらたら言うのもどうかなぁと思ったけど。
青い自分を残しておくためにも書いておこうかな。他人の意見を基準に、いつも考えるからなんか特にまとまったことはかけませんが…。
あらすじやら内容はめんどくさいから省きます。僕も第一回から見ていないからはっきり把握できていなかったんですが、総集編だったので話の流れがつかめました。
3時間が長いといわれていますけど、話の内容を思い出す為だったり、いまいち理解できなかった人の為にもあったんじゃないかなと思います。
別に3時間埋めなければいけないからやったわけじゃないと思う。それに変な主催者のストーリーを入れる為には振り返らないと。あれが重要だったりする。
みんなが幸せにはなれないかな。みんなで協力、みんなで分ける、みんなで…。理想論だとバカにするだろうし、現実を知らないバカと怒りたくなるでしょう。
ただ、そうやって言ってると自分てなんなんだろうとも思える。
平等とかいうのはキレイごとだし現実にありえる話じゃない。どっかのだれかさんが素晴らしい論理だと自分に酔って、どっかの国の憲法にもなっちゃったから定着しているけど。
ただ、社会主義を出すと難しい話にはついていけないからあれですが、その破綻で平等とか分かち合うといったものはありえないと言い切れない。
バカなあほが欲を出したから破綻しただけのこと。だから社会主義はダメだとかもなんだかなと思う。アホな欲を出さなければ破綻はしなかった。
世の中の全ての人間が完璧だという論理を前提の社会主義だから無理だといえば無理か。
詳細に知らないから、それがなくても結果的に破綻していたであろうと有識者に言われるかもしれないけど。管理が大変だもんね。実際のとこどういうものだったのかな。
資本主義も完璧じゃない。この主義だから成り上がれるってのもなんかつまらない。お金が無くても幸せに生きていけるし、名誉なんてものがなくても関係ない。
偉大な人は自分の本でそういう欲は必要だといっているし、それを追求することが幸せになるための手段であるとも言っている。
僕なんかより偉大な人にケンカを売るのもなんだけど、それは違うと思う。何もなくても幸せになれる人はなれる。なれない人はなれない。そして僕を含め社会に生きる人はなれない人間。
お金や時間から開放されたいのならそれを支配すればいいという考え方がお金持ちの論理だろう。
それって結構小さいことなんじゃないかなって、テレビを見ながら思った。支配することも支配されることも否定したらどうだろう。事実上社会からはみ出た存在にはなりますね(笑
ただそういう手段もあるということで。独りになるかどうかはその人次第ですから、社会からはみ出ても友人との繋がりがあれば幸せになれるでしょうきっと。
そういう人はお金を稼いでお金から解放される金持ちよりも、手っ取り早く人生を楽しんでいる人ですね。
実際にいるのかどうかは知りませんが、僕が思いつくんだからきっとそこらじゅうにいるでしょう。社会でいがみ合っている僕たちには目に付かないだけで。
世の中みんなで助け合って仲良く生きれることなんてできない。とっても悲しい現実だなと思った。でもそれが現実なのだとも思った。
じゃあ受け入れるべきなんだろうか。
それは、嫌だなぁ。
そんなことを数年前に考えていた気がする。
誰かに発言するほど強気ではなかったけれど、小さな小さな学校という社会を受け入れたくなかった。反社会的だといわれたけどそれでも良いと思った。
「お前が考えるほど甘くない。」
生にしがみついている意見だなと感じた。世の中をどう生き延びるか?そんなことに興味なんてない。生きたいように生きて死んだらそれで良いと思う。
汚く無様に生きることを否定するのではなく、何の為に生き延びるのかということ。とある人は家族のために。とある人は名誉のために。誇り、夢…。
でも明確な意味なんていらないだろう。存在しなくて構わない。
もし宇宙が創られたことに意味がないのだとしたら、生きることに意味がないというのは正しい。でも宇宙が創られたことに意味があるのなら、生きる意味を求めることが正しい。
意味や理由を探すのはだいぶ疲れる。ほとんどは思い込みで行き着けるというのに。
好きな職業で好きな仕事を。これは簡単。その職業の仕事を好きになればいいだけのこと。思い込めば簡単。
そんなわけあるかといわれても、思い込みでいろいろ生きてるんだからそうとも言い切れない。変な例えだけど人を殺しちゃいけないということと一緒で思い込み。
もし法律で決まってるから人を殺しちゃいけないとかいう子供がいたら、それは間違っているからしっかりしつけた方が良いと思う。
好きになりたければ思い込めばいいものを、僕を含め多くはそれを拒否する。つくづくバカだなぁと自分で思う。
やっぱり偶然の必然なきっかけを待っているのかもしれない。
振り返ればなんの為の人生だったのか、そう考えれば数時間、数日後には正当化した答えしかみつからない。答えはいつも思い込み。
だとするならば、逆に気楽に物事に取り組めるということもいえる。思い込みの力は偉大だ。どんな偉人も、それによって偉人へとなり得たのだから。
世の中はライアーゲーム。騙される、裏切られるのが当たり前の世界なんですね。じゃあその中で生きるには僕もそれを受け入れるしかないのかな。
僕は足を踏み入れたとき思いっきり拒絶した。否定までした。
でも今は別に否定もしないし肯定もしない。高みの見物ができるほどでもなく、わくからちょっとはみでたぐらいのものです。
忘れていた大切なものを思い出しました。
誰が僕にどんなひどいことをしようと、僕はそれを恨むことも仕返しすることもせず受け入れればいいと。そう思っていた。
裏切られるのは慣れていた。それが普通だと思ってたし特にそう何かを考えるほどのことでもなかった。だけど僕はそんなことしないと誓っていた。
良心からではなく、その人達との境界線が欲しかっただけなのかな。
もし数年前にそれを学んでいなかったら、人を騙してお金を得ていた。騙すという自覚はなかったけど、結果を考えると騙しているに等しいことだった。
でもなんかおかしいと自分で思って、騙される人に「こういうのはやめておきましょう」と警告のメールを送っていた。ガキですね。
でももしあそこでお金をせびりとっていたら、小さいけれど自分を支えるものは存在しなかった。社会に馴染むようなことをしなくてよかったと思う。
汚い世界だなと感じたけれど、それでも清く生きようと思ったのは良心からじゃない。境界線が欲しかったんです。
こうして生きているのはそのためで、たぶんキレイな心なんてもっていないんですね。小さなものにしがみついているだけで。
バカ正直に生きて損をする。損をしないようにと生きてきて、自分は何を求めて生きているんだろうと気づく。結果損をしようが得をしようがどうでもいいということになった。
やることなくなって世界に絶望すれば死ねばいいし、未来を掴みたいと願うなら生きるしかない。他人にはこう思ってほしくないけど。
ライアーゲームをみて本気で1つ思ったことは、「なおちゃん見ていてイライラする」ということです(笑
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