- 2007年6月 3日 00:23
- てけとー日記
ドラマはあまりみないほうですが、夫婦道とこのライアーゲームは必ずみるようにしています。なかでもライアーゲームは結構面白い。
デスノートよりはこっちの方がいいかな。デスノートは違う意味で怖いから。
にしてもこのライアーゲームの主人公のなおちゃんをみているとむちゃくちゃイライラします(笑
なんというか、あの笑顔が嫌です。今日の放送でもはいどうぞってチケット配ってたけど、いやな笑顔。偽善の笑顔にみえる。きっとそんなものではないのだと思うけれど。
だから、そんな僕が腐っているなと思います。なおちゃんは、腐った現代には必要なんですよね。純粋な人。
ただ、どうあがこうが大勢の前であの理論を押し通すのは難しい。というかまずできない。少数でも20人もいれば協力なんてそう無理でしょう。
無理かどうかわからんねぇぜ!っという心意気のある人は、1億人を統率してから僕の目を疑いから尊敬の眼差しに変えて欲しい。
たとえ一時の欲をぬぐえても、それが一生続くとは限らない。
人とはそういうものではないと信じたいけれど、理性はあとからついたものです。本能に打ち勝つことはできない。
そして理性が本能を勝ったとき、今度はそれは人間ではありません。欲求がなくなったとき人は死ぬしかないです。やることない。
どんな形の欲求であれそこに本能的なものが必要なんじゃないかと。
みんなが協力しあって生きていく。分配する。社会主義はだめだったから、こんどは共産主義かな。
僕もなおちゃんみたいなことをよく考えていた。誰も得しなければいいんじゃないって。僕はなにも望んでいなかったからそう思えた。今も望んでいないけれど、他人にそれをいっても通じないでしょう。
周りをみれば欲求ばかり。うんざりです。そんなに欲しいものがたくさんあるから毎月ギリギリなんじゃないかとつっこむけれど、誰もその警告は聞かない。
僕は特別貧乏という家計で育ったわけではありません。
親が思ったよりも冷めていたのでお金がかからない子供でした。
欲しいものはガキのころはたくさんあったんですけど、望むと親がうるさいのでもう小学校に入る前にはやめました。おもちゃなんて思いだせるほどしか買ってもらってない。
人によっては買ってもらってるだけでもいいじゃないとか思うかもしれない。幸か不幸か、うれしいことなのか悲しいことなのか、そんなことはそう意識していなかった。
昔から思っていたんですけど、親が遊んでくれないってそんな悲しいことでしょうか?
ドラマでよくそういう場面をみるんですが、なにしょげてんだこのガキはといつも思っていました。本当に遊んでもらっていない人というのは、遊んでくれるか遊んでくれないかでしょげるようなことはありませんよ。
それが当たり前なんだから。
はれてこんな僕が生まれることになり、ガキを育てるときは少しくらい何か買ってやらないと悲しいことなるなという教訓を学ぶことができました。
大きくなればそんなおもちゃなんてどうでも良くなりますけど、ガキのうちはそういうもんに憧れるのも少しは必要だと思います。感性がマヒした子供になっちゃう。
そういう育て方ってのは一歩間違えると取り返しがつかないから、なるべく感性豊かな子を育てることをオススメします。
という子育てのお話をする予定ではありませんでした(笑
ライアーゲームを次回も見逃さないようにしましょう。なおちゃんにはがんばってもらいたいです。なんとなくしゃくにさわるけど、それは僕が腐っているからなんだと思います。
だからって心からなおちゃんバンザイでは世の中生きていけないなぁとも感じますが、誰か1人くらいそういう人がいればみんなに希望がもたらされますね。
- Newer: デール・カーネギー『人を動かす』
- Older: やっと注目されてきたWordPress