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大人になるということ

大人になるということはとても恥に思えました。子供との境界線があいまいですが、社会に出ればだいたいは大人な感じになるでしょう。

そうならないと生きていけないというか、そうならざるを得ない。

理想や夢というのがくだらなく思え、目の前の生にしがみつき、生きることにしか生命力をつぎ込む矛先がない。

それが悪いわけではありません。皆家族を持っていて、そのために生きるということは立派だと思います。

でもそれを正当化して自分を押し殺しているに見えてしまう。家族を養うため。動機は素晴らしいけど、それによって自分という今の存在を正当化しているんじゃないでしょうか。

全ての面においての現実的な考えというのは、世界を暗くさせるような気がします。理想を持つことのどこが悪いのでしょうか。

他人の理想を批判する人は現実を見えていないというバカらしいセリフが好きな人でしょうね。


理想論を語られて甘っちょろいなと思うときと、立派だなぁと思うときがある。両者のどの部分が違うのか考えてきたけど、なんとなく分かってきたような気がする。

それは「覚悟や信念がその人の中に存在するかどうか」ということ。

柱をもっていない人が理想論を語るとバカらしい。そういう人ほど理想を語り現実から逃げて、気づけば自分の望んでいなかった自分になる。

逆に覚悟や信念が語る理想というのは理想に見えない。現実に起こりうる出来事であるという信頼性があるからかな。

僕はといえば甘ったれのクソ野郎で、なんかしょーもない人間になっちまったぜ、みたいな気分です。もっといろいろやってみるべきなのだろうけど、そんな気力もないし。

後数年はこんな感じだと思います(汗


最近の若いもんはやってやる!っていう力強い気持ちがない。ハングリー精神というやつでしょうか。だからか、社会に放り出されたらすぐ逃げ帰る。

精神が弱いというよりも、未来に希望をもてない教育を受けてきたきらなんじゃないでしょうか。あの時代はアメリカがあったからなぁ。

今は何に希望を持てば良いのか。それは自分で探すものだけれど、灯台が照らす導きの灯くらいあってもいいんじゃないでしょうか。何も見えない部分でもがくのは大人だって怖いでしょう。

自分をふとかえりみると、大人になってきているように思える。社会を認めているのではなく、受け入れてしまっている。

バカみたいな思いは忘れたくないと常々心がけているのに、気づけばこの有様です。毎日毎日大人になるなと制している。

大人になっちゃいけない部分があると思います。そこだけはいつまでもガキでいれたらいい。日記をつけておいてよかったと思います。青い自分が覗けるから(笑

それに伴い赤い顔の自分もモニターの前に存在するわけですが。


時間という概念は人間の中にしか存在せず、絶えずそれに追われる日々を送っている僕たちにとってみれば、自然と触れることは人間からの開放となるのでしょう。

時間からの開放とは人間という生物からの開放でもある。

いつの間にか、人間が作った概念に支配されて人間は生きている。すごいアホですね。困った。もうぬぐえない。時間なんてなくなればいいのに。

切羽詰った状況にはいつだって時間が付きまとう。邪魔だなと思うけど、人間らしく生きるなら時間は必須なんだろうなぁ。

いつか家から時間が分かるものは捨てます。いつだろう…。

時間が必要なくなったときですね。


結局何が言いたかったのか。いろいろめんどくさいってことでした(笑
今日から明日まで用事があるので明日はたぶん更新しません。

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