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ガキが病めば社会は病んでる

あえて逆ではなく。それも意味はないけど。

少年犯罪に関しては最近とある人からよく耳にする。「むしろ昭和三十年代の方が多かったのだよ君」みたいな感じに。5回以上同じ言葉でそういわれました。リピートするのが癖な人ね。

そんなこんなでタイムリーだったので、この記事を読んでまったく関係なくないけど。だいぶ関係ないことをたらたらと。

凶悪犯罪の高年齢化が止まらない、となぜ書かない
http://www.h-yamaguchi.net/2007/11/post_250a.html

オールウェイズという映画ありますけど、昭和時代を生きた人曰く、「あの時代はあんなもんじゃなかったからおれ嫌いだ」とかいってました。

古き良き時代、人情の時代とかいいますが、貧しけりゃみんなで助け合うし、物が溢れればその必要がないから人情も目に見えないだけで。

そんなこんなを言われました。

過去ってのはやっぱり美化されるもんだし、悪い面なんてそう覚えていないでしょう。僕だって昔を思い出せば小学生なんて楽しかったなあなんて思う。けど考えてみれば授業中暇だったし正直嫌で仕方が無かったという。


そんなことはどうでもよくて、子供が進んで犯罪を犯すなんてことはまずない。外部からの反応によるものが普通だし、子供が「わしの刀が血を吸いたがっててのう」なんて感じで殺人することもなく。


人を殺すほどに追い詰められたことがないのうのうと生きてきた僕にはよくわかりませんが、なぜこうなってしまったのか?なぜ自分がこういう目にあっているのか?なんでこんなに苦しいのだろうか?と自分で問いかけたとき、ふっとその原因と思われる人間がいてそいつさえいなくなりゃ自分ばんばんざいじゃねーの?

という感じでしょうか。

1つのことだけを考えていると人は狂うそうです。数学者とか急に自殺したり失踪したりしますね。関係ないかもしれませんが。

長期にわたって苦しみを自分に問いかけていると、ものっすごいシンプルな思考回路になり、もうそれ消えればおれ天国じゃね?はんぱねえ!とかなるんでしょうか。


とりあえず社会が病んでりゃ子供も病みますし、社会がハッピーなら子供もハッピー。つまり大人がハッピーなら子供もハッピーなのよ。そんな単純なふうに考えれば良い。

そんなのありえないぜ!っていうんだったら、黙って「また少年による凶悪犯罪が…」とかいってるテレビを同情の目でみて誰かと一緒に嘆いて、昔はなんたら親がなんたらかんたら語ってお茶して過ごしておきましょう。


なんでこんな世の中になってしまったのか。いつの時代でも誰でもそう思ってここまで来たのだから、今になって考えるようなことではない。

たこやき屋のおっちゃんに言われました。「親が愛情を持って子を育てれば悪い子にはならない」って。そんな簡単なことじゃないのって大人に言われても、子供からすればそれが当たり前にしか思えない。

ちなみに愛情が何かは僕もよくわからないのでそのおっちゃんに聞いてください。どこかのたこ焼き屋で焼いてます。

子供を育てるっていうのは育てられる側からみても大変だと思う。言葉一つで良くも悪くも育ちます。親の影響はとてつもなく大きいですからね。


大人が人を殺すようだったら子供も殺すし、大人がお互いを敬いあうようなら子供も敬いあい助け合う。全部が全部そうとは限らないけれど、いつでも大人は子供にみられています。

少なくとも僕は見ていました。教師の矛盾をいつも探していたようなひねくれものです。


子供は物分りが良いし敏感です。言うことを聞いてくれないのは反抗期なのか、それともその大人は信用されてないかのどちらかです。

本来素直です。ただ言っていることに矛盾があればたてつくし、気に食わないことがあれば噛み付く。子供でも道理を通せばだいたいは言うことを聞きます。

反抗期にはそんなもの関係なく反抗しますが(笑

子供に人気な大人というのは、尊敬できるような人です。いっていることが正しくて、どこかかっこいい、そんな大人が子供には憧れなのでしょう。

そういう人には素直になるもので、やっぱり子供でもどういう人間なのかがわかっているんだなぁと思いました。

話は変わりますが、なぜ人を殺してはいけないのでしょう?

くだらない倫理観によって人を殺してはいけない、と言うかと思ったら違いますよ。

そこに明確な理由はいりません。単に、「だめだから」で良いと思います。思春期あたりの人からすれば納得のいく回答ではないでしょう。論理的に言ってくれとおもうでしょうね。

でもだめなものはだめなのです。理由なんてないし必要ないのです。あえて必要ないものにわざわざ理由をつけたって意味がないでしょう。

それでもっていうのなら、誰かが悲しむからですね。では悲しむ人がいない人は殺して良いのかと言われれば返す言葉もありませんが、できることならあなたが悲しむ人になってあげてください。

そうすれば殺されて良い人などいません。そういうものでしょう。


ではなぜ自分は生きているのか?

それは誰かから得られるものではなく、それは自分で得るものです。誰か教えてくれとか思ってるのだったらアホです。自分で探すんです。

それに別に生きている理由や意味なんてものはなくてもいいですよ。

わざわざ意味を作ってまで生きる必要なんてないです。

単純に考えてやりたいことがあるから生きていればいいでしょう。やりたいことがなけりゃ探せば良いし、何にも興味がもてないのならもてるまで待てば良いです。

何にも興味が持てずに死んだらそれはそれでいいでしょう。それが嫌なら自分から動いて探してみることです。

生きていることに意味なんてなくて、生きて何かをすることに意味がある。生きるために生きるのではなく、何かをするために生きましょう。


子供からみて大人はなぜ生きているのか不思議に思えます。そんな苦しそうでなんで生きてんだろうって。大人が示せば子供は生きることがどういうことが分かるはず。


ちなみに今僕は何にも興味が持てずに堕落しています。情けなくてうへぁあという毎日。でもこれは自分が悪い。


なんで子供のいじめはあるのか?


子供のいじめがなぜあるのか?そこから考えるのははっきりいって無駄です。子供にいじめの悪や、いじめによって自殺した子の話を聞かせてもあまり良い効果はない。

子供に訴えても一時の同情しか得られないのですね。中学生くらいに話せば同情されて、数日たったら忘れ去られている。同情することに満足を得ているから、本質の部分はあまりわかってくれないんです。

教員は感想を書かせて、一時の同情を身に付けた子供たちの感想文をみて「なんていい子達なんだ!シクシク」と自己満足に浸るわけで。


ガキのときに広島のあれ見てきたのですが、反吐が出る感想をみんな書いてくれていて先生もそれを聞いてなんて良い子たちなんだと感動していました。今の彼らをみればもうなんかあれれ?って思ってしまう。

誰一人戦争の辛さを知ろうなんて思っちゃいないし伝えようとも思ってないでしょう。子供とはそういうもので、身を持って体験して初めてわかるのです。

きっと今空爆受けたら必死で訴えるだろうし、身近な人がいじめによって自殺したのならいじめなんてクソだと一生訴え続けるでしょう。


誰かの経験を得ようとも、表面的にしか取り入れることができないので数日たったらどうでもよくなっちゃうんですね。みんながみんなそうとはいえないけど。

それが悪いわけではないし普通だと思います。戦争に関しては少し特殊ですが、いじめに関してはまず子よりも大人に訴えかけなければいけません。


なぜ子供が他の子をいじめるのか?そう考えるよりも、なぜ大人が他の大人をいじめるのか?


と考えてみたらもうどうしたら良いか分かる。

どうしようもないほどにいじめを無くすことって難しいですね。子に限らず。がんばって大人のいじめをなくしましょう。死なない程度にやってる分そこが卑劣にさえ感じる。

無理やりに大人から子供へって流れになっているように感じますが、実際そういう流れが多いんじゃないかなあと思いますよ。それじゃあまるで大人が悪いみたいじゃないかと言われれば、そうだと思います。

大人が悪いんです。

「子供だって~」と反論するより、行動で示してガキに反論されないような生き方をすればいいのです。


「お父さんだって~するじゃないかー」

といわれて反論できなくて、お父さんだって人間だものうふっ、といわれても子供からすればなんだかなーと疑問をもっちゃうんです。

とりあえず、「お父さんのように生きれマイサン」と言えるような親になれたらいいですね。終わり。子供がこのように考えているわけではないけど、そんなことを思っていたよという感じで。

大人にはなりたくない。ピーターパンシンドロームとかあるけど、あれとはまた違うもので。経済的とか精神的とかじゃなく、物分りの良い大人にはなりたくないのな。でもたぶんなるんだろうな。

マスコミに関してはふれるでもなく。いろいろやりすぎだと思う。普通に信じるのは良くない。朝青龍ににらまれたとマスコミが騒いでも、マスコミだから睨まれたんだろうなと。亀田兄弟は言葉遣いが好ましくないだけで別になんでもいい。

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