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武士道-いかに生き、いかに死ぬか―

新渡戸稲造の原書をまた読んでみようと思います。武士道というのは以前から気になっていました。本書の内容は戦国時代から江戸時代にかけての武士の信念を貫いた事例を紹介しつつ、それに解説や著者の解釈がかいてあります。


ただ、死の美学だとか、忠孝だとかなんか現代の人て武士道を美化しすぎてるんじゃないかなって疑問に思えてきました。武士道とはどういうものか?という問いに具体的に答えようと事例をだして廉恥だとかいってますが、なんだかなと思うのです。


もともと武士道というのは戦国期にはなくて、新渡戸以前の誰かが作った造語だそうですね。だから源流の戦国の武士たちはそういうこと気にしてなかったということで。あとから事例をもとに、現代に言われるような武士道となったのです。


武士道つっても日本人にはなじみがないんじゃないでしょうか。だって日本人全員が武士だったわけではなく、圧倒的な農耕民族です。

江戸末期は武士の数は人口の10%ぐらいだった。みんな武士に憧れてて、戦争にいって農民も戦えるってのはうれしいことだったんじゃなかったっけ。みんながみんなそうではないけれど。


だから武士道をを日本の心だとか言うのはどうかと思う。

農民というのは卑しくてずるがしこくて、年貢がきつくて毎年必死だったということはない。もし毎年必死だったら飢饉はもっと起っていたでしょうね。実際は食料とかは隠し持っていたんです。

そして自分たちがよけりゃ他はどうでもいいんです。決して無理をせず、平凡に地味に生きていく。大きい志なんて持つのはもってのほか。

江戸時代の抑圧された政治のおかげで、飛びぬけた人間になることは良くないような風潮だった。今でもそんな感じで、異端者は弾かれます。江戸時代のときに才能があったのに、抑圧されていたおかげで歴史に名を残せない人がどれだけいただろうか。

今の日本人もそんなもんでしょう。これこそ農民根性。七人の侍をみてよくわかりました。農民というのはあんなもんなんだろうなあと。


農民から成り上がろうと思った秀吉は稀なんでしょうね。ちなみに、秀吉は農民根性を知っていたので、生かさず殺さずできりつめていった政策をしていたようです。

それでも生き延びる日本人というのはしつこくしぶとい。現代でもそれは多くの人に受け継がれています。日本人は卑しく異端を嫌い平凡を好み、抵抗をせず甘んじ自己肯定する。つまり小心者。立派に僕も小心者。だから僕は武士道というものに興味があるわけです。

こんなわけで、武士道なんて日本には根付いていなかったんじゃなかろうかと、そう思えて仕方が無い。

だから、現代の人が武士がどーのこーのといっていて、「惻隠だの廉恥だの武勇だのが日本人だ!」なんていうもんだから変に思える。勝手に美化してんじゃねえよと思える。

日本人は農耕民族でずる賢く、抑圧に甘んじる小心者なんじゃないかと思うのです。日常生活でそれをいつも感じる。周りの評価を気にして、自分の人生に責任を持たず、自己肯定し周りの意見に溶け込み争いを避ける。

争いを避けるのは良いことだけれど、信念をもっていない人間は全てのことを避ける。それは良いことではない。避けてはならないものがあるはずです。

だから現代では日本の心を失っているなんていわれてますが、もともとみんなが持っているものではなかったのじゃないでしょうか。今ある日本人は過去も今も変わっていない。どんなに世の中が便利になろうとも、ずっと昔から人間だけは変わっていません。

いつの時代の人間も一度は問いかけているでしょう。なぜ生きているのだろうと。

しかし、これら武士道と言われるものは日本人の一部の者たちがもっていたことは確かです。過去の武士と呼ばれる人達は、少なからずそれぞれ胸に抱いていたと思います。

だからこそ、こんな小心者で卑しい日本人だからこそ、先人が持っていたとされる信念を持とうではないかと。彼らに敬意を表し、そして後世に伝えていけたらいいのではないでしょうか。このような高尚な志をもった武士がいたということを。

彼らを見本とし、日本人としての誇りをもち国を愛し、未来へとつないでいけたらなと思うのですが。でも今の若者をみると憂うつになってしまう気持ちは分かります。僕自身をみても憂うつですしね(汗


結局何がいいたいかというと武士道を過去の日本人全員が持っていたものと美化してんじゃねえよというわけでした。認めようと小心者民族だということを。しかし、農民であっても誇りを持って生きていた人はいたでしょう。そういう方々にはこのようなことを言ってしまっては失礼だと思いますので、謝らせていただきます。

最後に僕は武士道とはどういうものかなということを。源流の武士道は廉恥、武勇を基本としたもの。そして江戸時代には忠孝、誠実といったものへと変わっていきましたが。戦国時代の武士がそんなこと体系化していたわけでもなく、それぞれの意志で生きていた。

つまり自分の信念と覚悟にしたがって、自分なりの正義を貫いてきたのだと思います。これが武士道なのではなのではないでしょうか。


現代において信念と覚悟を兼ね備えた人間はそういません。僕は小心者なのでなかなかどうして、こう弱い人間なのかと日々過ごしております。ですが、人を陥れたり自分の行動に責任を持たなかったり、僕が人として恥だと思うことはしないよう心がけて生きています。

これでも武士の子孫なのです。いろんなものが怖いけど、信念と覚悟のもとに立派に生きたぞと誇れるようになれたらと思っています。

というわけでいろいろ気に障る部分があるかとは思いますが、ケツの青いこといってやがるぜぐらいに流してください。こういっていても僕はまだまだガキですからね。いろんな部分で甘えていますよ。誰かに意見できるようなご身分でもないのです。

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